MOMOTARO International Hairsalon の歩み
~日本の美容技術を世界へ、ニューヨークからの挑戦~
ニューヨーク・マンハッタンの中心、ロックフェラーセンターやサックス・フィフス・アベニューのすぐそばに位置する MOMOTARO International Hairsalon。
ここは長年にわたり、日本の美容技術とおもてなしの心を、世界有数のファッション都市に届けてきたサロンです。
サミー宮本のニューヨークでの挑戦
創業者 サミー宮本 は島根県出身。日本で美容師として経験を積んだ後、より大きな舞台で自らの技術を試すため、若くしてニューヨークへ渡りました。
1972年に現地の「momotaro salon」の支店長を務めたのち、1977年に独立し、MOMOTARO International Hairsalon を創業。日本人美容師がほとんど存在しなかった当時、文化や言葉の壁を乗り越えながら着実に信頼を築き、サロンを成長させていきました。
1970年代、ニューヨークの一般的なカット料金が2ドルだった時代に、宮本はあえて 7ドル を提示。確かなカット技術に加え、丁寧なシャンプーや繊細なマッサージを組み合わせて提供し、その質の高さからニューヨーカーに “Perfect” と絶賛されました。こうしたエピソードを通じて、日本人美容師の価値を広く浸透させていったのです。
宮本は単なる美容師にとどまらず、「日本の美」を世界に広める文化の担い手でもありました。その姿勢こそが、MOMOTAROの歴史を形づくる大きな柱となっています。
コミュニティへの貢献
宮本は1985年に「ニューヨーク島根県人会」の設立に尽力し、2001年から2009年まで会長を務めました。
さらに、9.11同時多発テロの犠牲者を追悼するため、ロックフェラーステートパークやブルックリン植物園に牡丹を寄贈するなど、地域社会や文化に深く根差した活動も続けてきました。
こうした功績により、ニューヨーク日本国総領事館から表彰を受けるなど、美容業界を超えて評価されています。
技術革新の先駆け
1986年、MOMOTAROはニューヨークで初めて 縮毛矯正(Japanese Straightening) を導入。当時アメリカではほとんど知られていなかったこの技術は、「髪を根本から美しく変える革新」として注目され、サロンの名を世界に広めました。
この革新的精神は現在も受け継がれ、伝統と革新のバランスを保ちながら進化を続けています。
また、この時期にはスタッフの国際化も進みました。サロンには日本人美容師を中心に、アメリカ人やブラジル人など多彩なメンバーが集まり、文化と感性が交わる環境が生まれていました。
若手育成の場
MOMOTAROは、世界で活躍したい美容師にとって夢を実現する場所でもあります。
多くの若手がニューヨークで経験を積み、世界水準の技術と国際感覚を学び、やがて独立。サロンは単なる職場ではなく、未来を担う人材を育てる登竜門としての役割も果たしてきました。
宮本はとりわけ、日本人美容師が持つ「丁寧さ」と「緻密な技術力」を高く評価しています。その一方で、国際社会で求められる接客力を身につけること、さらにアートや音楽など多様な芸術に触れ、感性を磨くことを大切にしてきました。
こうした姿勢を通じて、単なる技術者にとどまらず「未来を描ける美容師」を育成することを重視し、次世代の道しるべとなっています。
未来へ
サミー宮本が築き上げた MOMOTARO International Hairsalon は、今日もニューヨークの中心で「伝統」と「革新」を体現しています。
美を通じて人々をつなぎ、文化を発信し続ける存在として、その歩みはこれからも止まることはありません。
年表
1977 NYマンハッタン東55丁目にて MOMOTARO International Hairsalon 設立
1986 NY初の縮毛矯正(Japanese Straightening)導入
NYの店舗を3店舗へと拡大
1997 5番街近くのオリンピック・タワーに移転
NYを1店舗として、アトランタ、ニュージャージーと全米に店舗拡大
2017 オリジナルヘアケアシリーズ「サミーNYC」リリース
2024 事業承継を経てNY現在地に移転